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前回の続きです。
朝ご飯を食べたところまで意識あり。
日勤時間に変わり、ベテランと新人に思われる2人が新しく担当についてくれました。
朝食後から意識が曖昧
8時から12時まで
8時頃ついに促進剤を開始。
痛みが強くなるのかなぁ、間隔もっと短くなるのかなぁ、早く子宮口開かないかなぁ、なんて思っていた直後。30分後くらいに突如として腰に割れそうな痛み訪れる。
促進剤は徐々に段階をあげていくんですが、始めてまもないのにこの痛み。
MAXが10レベルだとしたら私の場合1~3は1時間ごとくらい、4~5が30分ごと。分娩室に移動する直前と移動してからは助産師さんから爽やかな声で「じゃああげますね~」とどんどんあがり最終的に8レベルくらいに到達。
骨盤が割れそうでいきみたくなるが、子宮口はまだ5cmほど。ここから14時にむけて徐々に意識がとびだす。
想像では陣痛ってお腹が痛いと思ってた。現実は全然違っていて、お腹より断然腰!とにかく骨盤の痛みで意識とぶ。とんだ。
時間の感覚はもうまったくなし。終わりがあるとは思っていてもいつまで続くか分からない痛みにまた絶望。叫び声すら出せない。もう右にも左にも動けなくて、2分間隔の痛みがくるたび枕をぎゅっと握り、ベッド下の柵と壁を蹴って耐えて耐えて耐えまくる。
骨盤ほんとに折れると思った。おれる!ほんとにおれる!と何度も助産師さんに言い、新人助産師さんが最後まで必死にテニスボール押してくれました。あれがなかったら折れてたと今でも思う。
痛みのピーク
骨盤割れる、いきみたいのにいきめない葛藤(子宮口開いてないままいきむと裂ける)、お腹圧迫による吐き気、力が入りすぎて感覚が麻痺しだす両手両足。
出産で1番つらかったのはダントツでいきみ逃しと吐き気。子宮口は1時間に1cmのペースで開いていき12時頃に7~8cmほど。
用意した飲み物すらのめなくて助産師さんに飲ませてもらう事態。ストローキャップ用意したのにそれすら持てなかった笑。なんなら「何か飲める?」と聞かれたのに声すら出せなくて首を振るしかできなかった笑。
昼食を用意されるが食べられるわけもなく。でもここで食べないと最後まで体力がもたないよなぁと意識とびとびながらに考える。気づいたら口元に一口サイズのおにぎりがあてがわれ、陣痛合間になんとか食べる。
新人助産師さんがおにぎりにぎってくれ、ベテラン助産師さんが口元に持ってきてくれてました。ほんとうに感謝。
陣痛のあいだは赤ちゃんもがんばってるんだから頑張らないと、の思いだけ。痛みが遠のくと意識もとぶ。これをひたすら繰り返す。
昼食後一瞬1人にされた時がありまして。1人だといきみ逃しがまったくできない上、急に不安が押し寄せてきて、2度目の号泣。1人にしないでと泣きつき、新人助産師さんつきっきりでテニスボール押してもらいました。
13時から子宮口の開きがペースアップ
内診をお願いする
NSTを見る限りもう少しだねぇ、と言われ子宮口のチェックはそんなに頻繁ではなく。
13時前からもうほんとうにこれは尋常じゃない、ただものじゃない、まじで割れる、もういきみたい、てか裂けてもいいからいきみたい欲望に駆られる。
とうとう声が抑えられず「ん”ー!あ”ー!われる!われるわれるわれる!う〇ちでるかも!」を何度言ったことか。その都度優しい言葉をくれる助産師さん、神。いきみたくなる=う〇ちしたくなる、てのは本当だと知る。
こんなに痛いんだから絶対子宮口ひらいたやろ!?と30分ペースでチェックお願いする(時計見てないので推測)。
子宮口もここでようやくペースアップし確認されるたび順調に開き、やっと9cm弱。多分このとき14時半くらい。
「全開の10cmまでもう一歩だけど歩けなくなる前に分娩室に行きましょう」とGOサインもらう。歩いたほうがお産が進むので歩きたかったのに、現実は起き上がることすらできず、車椅子で連れていかれる。この移動ですらあまりに動けなくて30分くらいかかった。
15時すぎに分娩室へ移動
15時過ぎに担当以外の助産師さんたちも交え数名が準備でばたばた。膀胱にたまっていた尿をカテーテルで抜かれ、赤ちゃんの頭も一気にさがってくる。
「あら~すごいとれたわねぇ~!急にぐっと進んだわよー!」と言われ希望が見えてくる。もう恥ずかしさなどミジンもない。実はずっとトイレに行きたかったのに言えなかった私。こんな事ならもっと早く言えばよかった。
「もうぱんぱんなのよ、どうする?破水させる?」みたいなことが聞こえる。破水させてもいいか確認され、即答でイエス。
漏らしたような感覚に襲われる。あったかい液体が流れ出た次の瞬間、「全開よ!」の声。あぁやっとだと安堵する私。
いきみの許可がでる
急に強気
15時半過ぎ、またもや足元で助産師さんと医師の声がうっすら聞こえる。あまり会陰切開したくなかったが、切れるぐらいなら切ってほしかったので「必要なら切ってください!」と勝手に言い出す。
「あらそう?ほんの少し切ると進みそうだからじゃあ切りますね~」まったく痛みなし。
そこからは陣痛が来るのに合わせていきむ。母親学級で言われた通り目を見開いて、お尻に意識集中させて、目線は足元へ。
この時、私の頭の中はなぜか無表情のウーパールーバーを思い描く。
8回ほどいきんだところで「もう頭見えてるよー!触る?」と。股を開いたまま助産師さんに手を持っていかれわが子に初めて触れる。
髪の毛がもしゃもしゃしてて、この時やっと赤ちゃん本当にここにいたんだね、と実感。
12~3回目にいきんだ時、助産師さんがぐいっと補助した途端どぅるんと大きなスライムが出た感じ。直後に産声。
大きな胎盤、硬くなり始めていた
産んですぐに胸の上にのせてくれ、写真を撮ってもらいました。少しして赤ちゃんの計測や着替えの合間、私は後処置。
思った以上にあっという間に出てきた胎盤。800g近くあり立派だと褒めてもらい謎のうれしさ。
予定日を過ぎ41wに入っていたので、よく見ると胎盤が硬化しはじめていました。これが進むと十分な酸素が赤ちゃんに届かなくなる。万が一の事態もありえたんだなと驚きました。
カンガルーケアのあいだ、分娩室に娘と2人きり。ほかほかあったかくて、まだお腹の中にいた名残のような匂い。テレビ通話で夫や親戚に顔を見せ、いったん娘とはばいばい。
産後なにも問題なければ3時間後くらいから母子同室だったので、夜からふたたび娘と再会。
初産にかかった時間
自宅にいたなんか痛いかも?を含めると19時間。陣痛室へ入院してから13時間。
今まで生きてきた中で、もっとも濃い時間。
2人の助産師さんがすばらしくて、もし次があるならまた頼みたいくらい。
安心した環境で最後まで遂げれて、幸せなお産でした。